storyエコ・グリーン設計とは

─ 経営理念 ─

お庭を通して、
世界をおしゃれにする。

エコ・グリーン設計の考えるお庭

例えば、一杯のコーヒーを飲む時、そこが素敵なカフェであれば、コーヒーがより美味しく感じる様に、私たちの生活にとって“場所”というものが与えてくれる影響は決して小さくありません。どんな素敵な建物でも、どんなに素敵な服装でも、どんな素敵な車やモノでも、それがある“場所”が素敵であればあるだけ、その価値が増していくものだと、私たちはそう考えています。世間では、素敵な場所のことを“おしゃれな場所”と呼んだりします。

私たちは、そんな“おしゃれな場所”をお客様と共に創り出していく。そして、そんな場所が一つ増えていくことで、世界が少しずつおしゃれになって行く。それが、我々エコ・グリーン設計が考えるお庭です。

株式会社エコ・グリーン設計について

株式会社エコ・グリーン設計は、1998年4月に埼玉県熊谷市にて現代の名工・小林徹氏により創立された、個人宅を主にした外構工事を専門とする会社です。現在は、私、来栖絵理香が3代目社長として務めておりますが、創業26年ですでに3代目というのは新陳代謝が良すぎでは?と思う方々もいらっしゃると思いますので、その経緯について、少しお話をさせていただきたく思います。

私は、子供の頃より洋服が大好きで、将来は洋服に関わる仕事に就くことを夢見ており、ただひたすらにその道を走ってきました。高校を卒業後、文化服装学院に入学し、卒業後はパタンナーとしてレディスアパレルを経てTHE NORTH FACEでレディスやキッズの服の担当として働いてきましたが、夫が義父の事業を引き継ぎ、社長となったタイミングで、彼を支えることに専念するために会社を退職しました。

私の夫、来栖祐也は、東京都で土木事業を行う会社の2代目社長。経営の才能を活かし、様々な事業に手を広げていました。そんな夫は、どんなに仕事が忙しくても家に帰れば外が真っ暗であっても庭いじりを始めるくらいで、書斎にはたくさんのお庭や植物の本があり、休日になれば世界中のお庭を観に回るくらいの庭好きでした。私も夫の趣味に付き合い、各地のお庭を見て回りました。


いつかお庭の仕事もしたいと考えていた夫は、ご縁により、小林徹氏と知り合い、会社を託されることになりました。夫にとっての長年の夢が叶った瞬間ではありましたが、当時の夫は他に3つの会社を経営しており、元々生真面目で妥協のできない性格のため、心身共に限界に達していました。会社を託されて半年経った頃、夫は過労で倒れ、半年の間入院をしましたが、回復する見込みがなかったため、やむを得ずに会社を手放す決断をしました。

当時、夫の看病に専念していた私は、このまま夫と遠くの島へ行って新しい生活を始めようとも考えましたが、それ以上にどうにか夫の築いてきたものを残せないものかと強く思っていました。せめて、夫の長年の夢であったお庭の仕事だけでも残してあげたいと思い、私は株式会社エコ・グリーン設計の3代目社長になる決意をしました。社長の妻が次の社長になることに誰も反対はしませんでしたが、問題は経営の経験のない私にそれが務まるかどうかでした。

大手企業の平社員が中小企業の経営者になること。そこは、まるで私が知らない世界であり、慣れないことを慣れない場所で行う悪戦苦闘の毎日。そんなある日、夫が私にこう言いました。

「君にそこまでの覚悟があるなら、僕も会社に戻って全力で君を支える。だから、一緒に戦おう。」

それが私の中で、本当の意味で社長としてやっていく覚悟が定まった瞬間でした。

未だに闘病生活を続けている夫にとって、職場に復帰することは大きな決意が必要なことだったと思います。私としては、夫を職場に戻すことは避けたいことでしたが、夫の存在は最も頼りになるものであり、その言葉は本当にうれしいものでした。


そして、更にうれしいこと。それは、長年の社員たちも私を支えてくれていること。半人前の私に不安も不満もあると思いますが、私を信じてついてきてくれている社員たち。たまに衝突することもあるけど、この会社を良くしていきたいという気持ちがお互いに強い。それは、これまでお付き合いのある職人さんたちや取引先さんも同じで、皆でより良い会社にしようと頑張ってくれています。

一人のカリスマ経営者が引っ張る会社ではなく、一人の半人前の経営者が皆に支えられながら一人前以上のことを成し遂げていく。今の株式会社エコ・グリーン設計はそんな会社です。

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